神言会の創立者 -聖アーノルド・ヤンセン-

生い立ち

アーノルド・ヤンセン

アーノルド・ヤンセン

1837年11月5日、アーノルド・ヤンセンはドイツの下ライン地方にあるゴッホという片田舎で生まれました。彼の両親は、貧しいながらも大変信仰深く、後の彼の霊性は幼年時代に両親からの信仰教育によって養われたと言うことができます。彼は、両親の素朴で生活に深く根を下ろした信仰を受け継ぎ、1848年に小神学校に入学、高校・大学と勉強を続け、哲学、神学、自然科学などを学びました。19歳で哲学課程を終えてしまった彼は、大神学校に進学できる22歳までの3年間を教師資格を取るための勉強に費やし、それを取得、さらに神学の勉強を続け、1861年司祭に叙階されます。

司祭として

アーノルド・ヤンセンは司祭としてまず教師職に就きます。彼は非常に多くの科目を受け持ち、熱心に教え、知識だけでなく道徳に関しても素晴らしい影響を生徒に与えました。しかし、1867年に祈祷の使徒会の担当者になって以来、教会の霊的発展と奉仕のため、特に海外宣教における教会の霊的発展のために働きたいという希望が強くなり、学校を辞めて布教活動に専念することになります。彼は数年間祈祷の使徒会の仕事で各地を廻った後、1873年ケンペンという町にあるウルスラ修道女会の修道院付き司祭となり、そこで長年の夢であった宣教出版物を発行する仕事を始めます。しかしちょうどその年、鉄血宰相ビスマルクを中心に、いわゆる「5月法」が実施され、カトリック教会の活動は大きな制限を受けるようになりました。この弾圧は10年以上続きました。神言会が創立されたのはこのような政治的紛争の時代だったのです。

宣教神学校の夢

 『聖心の小使徒』創刊号のロゴ


『聖心の小使徒』創刊号のロゴ

彼の記念すべき最初の出版物は、『聖心の小使徒』という雑誌で、国内外の宣教に関する啓蒙を目的とするものでした。彼はこの雑誌を通してドイツ人のための宣教神学校が一つもないことを訴え、その設立の必要性を説きました。しかし、文化闘争のまっただ中にあって、この呼びかけに対する反応はまったくと言っていい程なく、彼は香港のライモンディ司教からの「自分で創立したらどうか」との言葉にも励まされ、自ら宣教神学校を創立する意志を固めていきます。ところが、いち修道院付き司祭に過ぎないアーノルド・ヤンセンには、資金も賛同者も何もありません。ある司教は相談にやってきた彼のことを、「宣教神学校を建てたいけれど、元手は何もないと言う。彼は狂っているか、聖人か、どちらかですよ」と伝えています。

宣教神学校の設立

アーノルド・ヤンセンは地道に方々を巡り歩き、少しずつ協力者を得ていきます。その結果、彼はオランダのシュタイルという町にある、一軒の売りに出されていた宿屋を見つけ、1875年にそれを手にすることができました。生活に必要なものを買いそろえると、元手はほとんど無くなってしまいましたが、ようやくここに宣教師を育成する神学校が設立されたのです。アーノルド・ヤンセンはこの神学校の目的として、海外宣教と、キリスト教的学問の研究を掲げました。このうちの学問についてはかなりの反対がありましたが、「宣教師はしっかりとした神学とその他種々の知識や教養が必要である」という彼の方針は、後の宣教活動において大きな実を結ぶことになります。

出版事業の展開

1905年当時の印刷所

1905年当時の印刷所

設立から半年ほどすると、彼はようやくまわりだした神学校経営を自らたたき壊すような決断をしました。なんと、一神学校内に印刷所を設けるというのです。この計画には仲間を初めとする多くの人が反対しましたが、彼は神学校運営資金のかなりの部分を使って印刷機を購入、多くの人が「これで終わりだ」と思いました。しかし、この宣教神学校が発行する印刷物は順調に部数を伸ばし、結果的には海外宣教の啓蒙と神学生の増加に大きく貢献することになりました。以来、メディアによる宣教は神言会のカリスマの一つとして、各管区の宣教活動に取り入れられています。

全世界へ

宣教師の派遣

宣教師の派遣

アーノルド・ヤンセンは初めての宣教師を中国に派遣すると、アフリカ、アジア、南米、北米と次々に宣教師を送り出し、それと同時に神学校や研究機関も増やしていきました。また、彼は二つの女子修道会を創立し、霊的な面においても、活動の面においてもバランスの取れた宣教活動ができるようにしました。私たちはこの三つの修道会を「アーノルド・ファミリー」と呼んでいますが、それぞれが特徴を生かした仕方で、宣教家族として互いの協力のうちに活動を進めています。  このように福音宣教の場で大きく貢献したアーノルド・ヤンセンは、1909年1月15日、安らかに神のもとへと旅立ちました。彼が生きた19世紀末から20世紀初頭という時期は産業革命の結果、世界が文化的にも、社会的にも、科学的にも激変した時代であったわけですが、彼はその新しい優れたものをためらいなく利用し、大きな成功を収めました。彼ははじめ多くの人の反対を受けましたが、最終的に認められ成功を収めたのは、アーノルド・ヤンセンが「神への信頼」という原動力を持って、「神のみ旨」というたったひとつの目的に向かってすべてのことを行ったからでしょう。彼は、すべての福音宣教者の模範として、1975年、パウロ6世により列福、さらに2003年にはヨハネ・パウロ2世により列聖されました。しかし、これらの恵みはアーノルドが特別に優れた人間であったからというよりむしろ、頑固なまでに「神への信頼」を貫き通した結果だと言えるでしょう。