創立前夜
神言会の創立者、アーノルド・ヤンセンは、1861年に司祭に叙階されてから、高校教師として数学などを教えました。しかし、「み言葉を全世界に広める」という外国宣教に対する関心が次第に強まり、教師職を辞して布教活動に専念することを決意しました。ところが、当時ドイツでは反カトリック運動が激化し、国内におけるカトリックの活動はかなり制限されていたため、アーノルドは国外にドイツの宣教神学院を創るように、出版活動を通して人々に呼びかけました。これは、何も彼自身が宣教神学校を創るという意味ではなく、「創るために協力しましょう」という呼びかけだったのですが、苦しい時代の中でこのような提案は誰にも相手にされず、当時の香港司教ライモンディのアドバイスを受け、ついに自分で宣教神学院を設立する決意をしました。
創立 -外国宣教へ-
全くの無一文で始まった神学院設立計画は、紆余曲折を経ながら1年間の準備期間の後、オランダのシュタイルという町に実を結びます。1875年9月8日、聖母マリアの誕生の祝日に、アーノルドは3人の仲間と共に宣教神学校を設立、神言会はその第一歩を踏み出しました。たった4人で始められたこの宣教神学校は、椅子を人数分そろえることができないほど貧しく、しかも宣教共同体としての意見の対立から、半年も経たないうちに二人の兄弟がこの神学校を離れていきました。
早くも存続の危機を迎えたこの共同体は、原点に立ち返って外国宣教の専門家を養成する場としての基礎を確認し、次第に組織としての体制を整えていきます。また、当時としては珍しく、一神学院として出版活動を始め、メディアを通しての宣教啓蒙活動を展開しました。こうした努力が実り、外国宣教という魅力的な活動を希望する若者が次々に集い、半年もすると神学生は定員を超えていました。そして1879年、ついにアンツァー師、フライナーデメッツ師が中国宣教に旅立ちました。
姉妹会の創立
当時の中国には世界中のキリストを知らない人々の80%が住んでおり、かなり重要な宣教地でした。そこでの彼らの活動は多くの苦難を伴うものでしたが、それだけ大きな成功をもたらしました。さらにこの宣教神学校は、南米、アフリカ、北米と、次々に宣教師を送り出し、1901年には教皇庁によって正式に修道会として認可を受けました。さて、この間にアーノルド・ヤンセンは聖霊奉侍布教修道女会と永久礼拝聖霊奉侍修道女会という二つの女子修道会を創立します。神言会、聖霊会、永久礼拝会はそれぞれ男子宣教会、女子宣教会、女子観想会と、独特の性格を持っていますが、それぞれの仕方で宣教に奉仕し、協力して宣教活動を行っています。
列聖とさらなる発展
神言会は1907年に来日。さらに、フィリピン、インドネシア、オーストラリアと、アジア・オセアニアへの宣教を進めていきます。その流れの中で、各国における邦人宣教師育成のために神学校の建設に力を入れ、創立100周年にあたる1975年には会員は5000人ほどになっていました。時の教皇、パウロ6世は、アーノルド・ヤンセンとヨゼフ・フライナーデメッツの二人を、その宣教活動における卓越した功績のため列福し、神のみ旨に従って使徒職を忠実に果たすための模範としました。そして2003年10月5日、教皇ヨハネ・パウロ2世は二人を聖人の列に加えました。現在神言会は70以上の国で約6000人の会員が宣教に従事していますが、その活動は多岐にわたり、教会司牧、黙想指導、様々な場での教育・研究活動、社会福祉など、幅広い分野で活躍しています。