日本管区の沿革

ライネルス師

神言会は1907年に初めて日本の土を踏みました。まず最初に、来日したチェスカ師他2名の宣教師たちは秋田教会を担当しますが、それから秋田、山形、新潟、富山、石川、福井県が新潟教区として編成され、初代教区長に神言会のライネルス師が任命されました。1922年になると、愛知、岐阜、富山、石川、福井が名古屋教区として編成され、ライネルス師が初代教区長に、新潟教区はチェスカ師が教区長に任命されます。
1930年には、現在も多くの人々に親しまれている多治見修道院を設立、管区本部がおかれます。その後20年ほどの間にライネルス師により中学、高校、大学を順次名古屋に設立し、南山学園が発足、さらに管区本部が名古屋に移り、神言神学院も名古屋に設立されました。1950年代は教会の創立ラッシュで、多くの教会が名古屋を中心に創立され、また長崎には南山中高ができます。こうして、秋田、東京、名古屋、長崎を中心とした司牧、教育を中心とした活動の場が整っていきました。


日本における会員養成の沿革
1932年に南山中学、1936年に小学校(1941年に名古屋市に移管)がライネルス師により名古屋市昭和区五軒家町に設立されました。

1942年、多治見修道院において、日本管区最初の二人の修練期が開始されます。修練期後の神学院も多治見でした。

1945年、第2次世界大戦が終わり、学校制度が改革されるのに伴い、南山高校、大学(当初は外国語専門学校として発足)が設立されて教育事業発展の基礎が築かれました。

1950年には、会員養成の場として、昭和区滝川町に神言神学院が設立され、神学生は多治見から名古屋に移ってきました。

1954年に長崎南山高中校が設立され、1956年には会員志願生のため聖ルドヴィコ神学院が設立されました。

1964年に南山大学は昭和区八雲町に移転拡大し、1968年には南山短期大学が設立されました。

1966年、昭和区八雲町に神学院が移転、現在の神言神学院における養成が始められました。

海外で宣教する日本人会員

1966年には神言神学院が現在の八雲町に移転しました。こうして海外の神学生の受け入れや、日本人神学生の海外研修、留学など養成段階における国際化が進み、より国際的な管区に成長して行きました。現在日本管区では130人以上の会員が働いていますが、そのうちの半数が外国籍の宣教師で、国際宣教修道会の特色を生かした活動を行っています。また、これまでに台湾、フィリピン、オーストラリア、アルゼンチン、パラグアイ、ブラジル、ガーナ、ケニヤ、ドイツの9ヵ国に宣教師を派遣してきました。2007年には来日100周年を迎え、感謝のうちに新たな一歩を踏み出しました。